財産は使い様!ケチって殺されかけた男と気前の良さで出世した男

将来に備えて貯蓄や節約をすることは、「自己責任論」が強くなりつつある現代日本において欠かせないことがらですが、使うべき所で使わないと周りから「金に目がない奴」などと評判を落とすことにもなりかねません。三国志の中でもお金にまつわるエピソードがいくつも登場します。

・皇太子から申し込まれた借金を断って死刑になりかけた男、曹洪

曹操の一族に曹洪(そうこう)という猛将がいました。曹操の旗上げ初期からつき従っており、曹操の生命を救う活躍や多くの城を攻略するなどの戦功も立てていた実績ある人物でした。

しかし、皇太子の曹丕とは相性が悪かったのか、単にケチだったのか、彼からの借金の申し出を断って恨みを買うことに。その後、曹丕は魏の皇帝(文帝)となりますが、そのときの恨みを、曹洪の部下が犯したミスにつけこんで曹洪をも逮捕し、処刑すると言い出して周りは大混乱に陥ります。多くの臣下が助命嘆願をしても聞き入れられず、最後の最後で亡き曹操の后(皇太后)が曹丕の后に「曹洪を処刑した次の日には、私があなたを后の座から引きずり下ろす」と告げ、后の涙の助命嘆願で生命だけは救われました。

命は救われたものの、官職を剥がれ、領地も削られるなど、周りも納得できないような仕打ちを曹洪は受けます。彼にとって幸運だったのは、先に曹丕が世を去ったため、次の皇帝のときに復権を果たしたことですが、借金を申し込んだ相手を選んでいれば、曹洪も不遇の時代を過ごさずに済んだかと考えると、財産の使いどころというのは大切なことを思い知らされます。

・太っ腹で立身出世した男、魯粛

一方、呉に魯粛という人物がいました。こちらは元々が富豪出身で、若い頃から施しを厭わず、あるとき呉の将軍・周瑜(しゅうゆ)が軍需物資の援助を求めたところ、2つあった蔵の片方全部をためらいもなく提供したと伝えられています。後日、魯粛は他の主に仕えないかと誘われますが、その途中で周瑜から孫権への仕官を勧められ、それがきっかけで仕官先を変えました。結果、魯粛は呉の大黒柱となる活躍を見せます。元々の才能は勿論のこと、周瑜への援助を断っていたら、他の主の下でどのような人生を歩んでいたかわからなかったでしょう。富豪の家だからこそできたエピソードではありますが、使うべきときにその財産を上手く使った好例であることに違いはありません。

・相手の度量やお金への節度などを見極めて、上手く使うこと

曹洪の場合は曹丕が恨みを抱きやすい性格であったことを見落としていたことが最大の失敗だったでしょう。曹一族として、自分は安泰だという驕りもあったかもしれません。名将ゆえに周囲のとりなしもありましたが、もし普通の将軍だったらどうなっていたでしょうか…。

一方の魯粛は自分の将来に影響するなど考えずに気前良く援助をしたところが、却って周瑜の信頼を勝ち取ったといえるでしょう。損得勘定なしで知人にお金を貸したり、援助したりするのは、今の世の中では難しいでしょうが、相手次第では自分の人生を大きく左右することにもつながっている、ということですね。