失敗は素直に反省を!プライドにこだわり足元をすくわれた男の話

仕事でも部活でも、何かで失敗をしたときにどういう態度を取るかで、その人となりが見えてきたりするものです。自分の失敗を素直に反省し、次に活かせるようであれば、周りからの評価もそれほど下がることはないでしょうが、失敗によってプライドに傷がつくことを恐れて自分の非を認めようとしない人も中にはいます。

・子どもの頃から「天才」と言われた諸葛恪(しょかつかく)のエピソード

呉の重臣であり、諸葛孔明の兄でもある諸葛瑾に、恪という息子がいました。小さい頃から頭の回転が速く、機転が利く子どもとして評判の高かった人物です。ある日、父と共に宴会に招かれたときのこと。一頭のロバが宴席に引き出されてきました。呉の主孫権は、ロバの首に「諸葛子瑜(諸葛瑾のこと)」と書いた札をかけ、諸葛瑾の面長を笑いのネタにしようとします。そこで諸葛恪は筆を借り、札に「之驢馬(のロバ)」と書き足して孫権に一言。「父にこのロバを賜り、ありがとうございます」。孫権をはじめ、その場にいた諸将から「利発な子」と誉められたものの、なぜか父親の諸葛瑾は「この子は将来、家を滅ぼすかもしれない」と息子の将来を危惧していたといいます。

・エリートとしての活躍と大失敗

諸葛恪はその後、順調にエリートコースで出世をし、北方の敵・魏が侵攻してきたときも見事に撃退して更に評価を上げていきます。そこで調子に乗ったか好機到来と見たか、今度は自分達から魏へ攻め入る番と、大軍を率いて攻撃を開始。しかし、結果は大敗で諸葛恪痛恨の大失敗を犯してしまいます。

ここで素直に反省をし、位の降格などを申し出ればまだ救いようがあったのかもしれません。しかし、諸葛恪は態度を硬化させ、独断専行の政治を行なうようになってしまいました。今まで天才だ、エリートだと言われ、その道を歩んできた彼にとって、失敗を認めて指導者失格の烙印を押されるのが怖かったのでしょう。遂に人々の心は諸葛恪から離れ、宴と称して招かれた席で殺されてしまいます。残念ながら父・諸葛瑾の予感は的中してしまい、諸葛恪の一族は処刑されてしまったのです。

・プライドが高い人ほど、「反省ができない」

諸葛恪だけでなく、とかくプライドの高い歴史上の人物は「反省することを怖がる」傾向があります。ただ反省しないだけならまだしも、暴政を行なったり、自暴自棄になったりした人物も多く、若いうちに失敗や挫折を経験していれば…と父・諸葛瑾は思っていたのかもしれません。

あなたはミスを犯したとき、素直に謝罪することができますか?諸葛恪の叔父である蜀の諸葛亮(孔明)は、自分が指名した部下の失敗(しかも命令違反)も自分の責任であるとして三階級の降格を申し出、全軍に謝罪をしています。失敗したときは恐れずに心から反省と謝罪のできる人間の方が、評価は下がらずに済むかもしれませんね。