円満な人間関係のためなら、多少のヨイショも有効手段!

「よっ!さすが課長っ!ニクイねこのっ!!」とおだて過ぎるのは逆効果になることもありますが(笑)、その人の自尊心(プライド)をくすぐるような上司や先輩へのヨイショは時と場合によっては円満な人間関係を保つための有効な手段となります。

・実力ある新参者の評判を気にした関羽の心を落ち着かせた孔明の手紙

組織や勢力が拡大・発展していくと、後から入ってくる実力者の評判が気になって仕方がない人も出てきます。スポーツのチームなどで、「今度入ってくる新人はすごいらしいぞ」なんて噂が立ったら、同じポジションにいる先輩は気が気でないでしょう。

劉備の勢力が拡大したとき、馬超という名門の子孫が配下に加わりました。馬超は個人的な武勇にも高い評価があり、見た目の良さも手伝って、「錦馬超」と呼ばれるほどの名将といわれていました。馬超が配下になったのは劉備が蜀(四川省)に入ったときで、遠く荊州で留守を預かっていた豪傑・関羽はその人となりを見ることができません。馬超の評判だけが情報として入っているので、プライドの高い関羽としては、「どれほどの人物か」と手紙を書いて孔明に問い合わせるほど気になっていたようです。

そこで孔明は、「馬超は一代の豪傑。張飛といい勝負といったところでしょうか。しかし、髯どのには及ばないでしょう。」と、『関羽>馬超=張飛』という序列を挙げて関羽のプライドを保つような返書をしたため、それを読んだ関羽は満足したといいます。

・『三国志演義』でも諸将のプライドを上手く操った孔明

小説・『三国志演義』での孔明は、相手を誉めるだけでなく、対抗心を燃やすように仕向けるという形でプライドを上手く操ったりもしています。蜀の地で馬超と戦うことになった際、張飛に対して「馬超は関羽でなければ相手にならない」とプライドをくすぐって馬超を甘く見ないように仕向けたり、劉備亡き後の軍事行動でも、既に老齢となっていた趙雲をわざと留守役に回す発表をして、「まだまだやれるぞ!」と奮起させたり、随所で人心掌握術として利用しています。

・プライド(自尊心)や誇りは適度に持つのがベスト

あまりにプライドが高すぎると、相手を甘く見たり油断したりするものです。自分の実績に誇りを持ち、敵将を甘く見て失敗した例は、三国志でも数多く出てきます。現代でもプライドの高い人は大勢います。そんな人を上司や先輩にもったときは、上手にそのプライドを扱えるようになりたいものです。