部下の進言を聴いた上司と聴かなかった上司が辿った当然の運命

現代の会社や学校での上下関係では、「部下からの進言」自体がそうあるものではないのかもしれないですね。しかし、経験豊かな部下や一芸に秀でた後輩がその部門での進言をしたときに、貴重な意見として受け入れられる度量がある上司とない上司では、辿る運命にも大きな違いが出てきます。

・北方の雄、袁紹と新進気鋭、曹操との対比

中国の黄河より北を押さえ、天下取りの最有力候補と目されていた袁紹。一方、中国の中心部を支配下に治めて、成長著しい曹操。この両者は幼馴染みでもあり、同僚でもあった時期がありました。袁紹は名門の出でいわゆる「お坊ちゃま」。曹操は財力はあったものの、世間体は決していいものではありませんでした。

名門で評判も高い袁紹の下には優秀な人材が集まり、参謀・将軍ともに恵まれていました。曹操も人材の登用には力を入れていて、一族の猛者や曹操の才能を見抜いて集まってきた智謀の士・勇猛な将は少なくありませんでした。この両者は、部下の進言を上手く利用できた曹操と、折角の進言を用いずにチャンスを逃した袁紹とで明暗がはっきりと分かれています。

・皇帝を本拠地に迎えよ

曹操の参謀も袁紹の参謀も、「漢の皇帝はまだ庶民に仰ぎ慕われているから、荒れ果てた都で苦労している皇帝を本拠地に迎えて大義名分を得よ」と進言しています。どちらの陣営にも反対論はありましたが、曹操はこの意見を採用して自ら皇帝を迎え、「漢王室の軍」として各地のライバルと一線を画すことに成功します。もう一方の袁紹はこの意見を退け、後に曹操が大義名分を得たのを知って悔しがったといいます。

・攻め時と守り時を見誤った袁紹と耐え抜いた曹操

もうひとつの大きな差は、袁紹側の参謀が曹操を攻める機会を進言したときに「子どもの病気でその気になれない」とチャンスを逃したのに対し、袁紹との長い対峙で苦しくなった曹操が「今は退却してはいけない」と耐えるように進言した参謀の言葉を採用した点です。袁紹は参謀の的確な進言をことごとく退け、誤ったタイミングでの進軍や行動を取って大敗を喫しています。

・その道に明るい人物なら、後輩でも部下でもアドバイスを受け入れる度量を持とう!

優秀な部下や一芸に秀でた後輩の、その道に関する助言やアドバイスは、曹操のように積極的に取り入れて、活用したいものです。自分の進言を受け入れる度量がある上司や先輩へは、部下や後輩も信頼を置くことができ、仕事のし甲斐も出てきます。袁紹のようにことごとくタイミングを外しまくっていると、部下に愛想を尽かされることにもなりかねません。