ここはダメだと思ってもベストは尽くし、翔ける新天地を探せ!

諸葛孔明と並んで非常に人気の高い将軍に、趙雲という人物がいます。何かしらで三国志に触れたことがある方なら、知らない人はいないであろうメジャーな人物ですが、その人気の理由に「主君に誠実で慎み深い人柄」というのが挙げられています。

・劉備や孔明の親衛隊長として活躍

趙雲の主である劉備、あるいは参謀である諸葛孔明につき従い、忠実に命令を遂行する能力の高さもさることながら、主君とその家族のために自分の生命を省みずに敵陣へ一人で突っ込んでいく度胸、そして、無事に劉備の一人息子(当時)を救出して帰還する一騎当千の活躍も「長阪(ちょうはん)の英傑」として称えられています。物語での趙雲は、同僚である関羽や張飛に勝るとも劣らない武者ぶりと、二人にはない爽やかさを如何なく発揮してくれています。

・二度の転職で見つけた最高の職場

趙雲は二度(史実は一度)主君を変えている、いわば「転職組」。最初に仕えた袁紹に大将の器がないと感じると、袁紹の敵である公孫瓚(こうそんさん)の危機を救って、その配下となります。しかし、公孫瓚も袁紹と同じく仕えるに値しない人物であると解ると、当時知り合って意気投合した劉備に仕官することを願い出ます。

そもそも、袁紹と公孫瓚は世の中を平和に導き、荒れていた漢王室を再興するというような大志は持っていませんでした。中国北方で領土争いを繰り返す2人と違い、劉備の志(漢王室の再興による天下の安寧)とその人柄に心を惹かれたわけですが、配下に加わることを劉備に断られてしまうのです。そのときの劉備が言うには、「袁紹、公孫瓚と仕え、今また私に仕えようとするのは世の中から不忠者と非難されるだろう。今は公孫瓚に尽くし、いずれ時期が来たらまた共に戦おうではないか。」と、今の職場でベストを尽くせとの返答。

その後、公孫瓚は袁紹との戦いに敗れて滅び、趙雲は流浪の末に劉備と再会。主従の契りを交わすことができたのです。現代に言い換えれば、「袁紹の会社に見切りをつけていたときに、ピンチに陥ったライバル会社(公孫瓚)へ転職。その後、会社が倒産したため、念願の劉備が経営する会社に再就職を果たした」といった感じですね。

・自分の理想とする会社や事業で才能を発揮できれば、転職は悪いことではない

趙雲のように、主の人柄や思想を重視して転職をするということは、今の社会では現実的ではないでしょう。しかし、自分の勤める会社でベストを尽くしながら、より社員を大切に扱い、社会貢献をしている企業探しや天職探しをすることは充分可能です。

若いうちは自分の適職が解らず、稼ぐためならどこでもいいから就職するというケースも少なくありません。実際に社会に出たとき、ただ「あそこはダメだ」と嘆くのではなく、趙雲のようにベストを尽くしながらチャンスを待つことで、人生の転換を図ることもできます。特に、終身雇用が少数派になり、非正規雇用が当たり前になってきた今の日本では、自分を高く評価してくれる経営者に尽くすこともできそうです。