三国最大の勢力を誇った「魏」とは

・「魏」とは…西暦220年に曹操の息子、曹丕によって建てられた国。実際は曹操が漢王室の臣下というスタンスを保ちつつ、「魏公→魏王」とステップを踏んでいて、曹操死後に王位を継いだ曹丕に、後漢最後の皇帝(献帝)が帝の位を譲るという形で誕生した。中国全土の2/3を支配し、三国中で最大の規模を誇る。その後、263年に蜀を倒すが、そのわずか2年後、西暦265年に部下の司馬氏が建てた「晋」に位を譲る形で滅亡。45年間存在した王朝である。

【魏の主要人物】

・曹操(そうそう)…政治・軍事・文学(詩文)と各方面で才能を発揮した、三国志一の英傑。自身の類稀な才能もさることながら、優秀な参謀・勇猛な将軍を数多く配下に迎え、東奔西走して戦乱の世の風雲児となる。衰退していた漢王室の臣下としての立場を崩さず、息子の代に魏王朝を開くための礎となった。

・司馬懿(しばい)…諸葛亮(孔明)が興した魏討伐軍を何度も退けた名将。はじめ曹操の招聘を病と偽って断っていたが、仕官せずにいると命に関わる(殺される)と悟り仕官する。曹操の長男・曹丕の教育係などを経て、やがて魏の重鎮となる。政敵の警戒に対しては自分が老いて重病であるように見せかけ、油断させたところをクーデターで倒すという謀略で魏の実権を掌握した。

・曹洪(そうこう)…曹操の一族。何度も戦功を挙げてはいるが、やがて曹操の後を継ぐ曹丕とは折り合いが悪く、借金の申し出を断ったことで恨まれて些細なミスで死刑にされそうになる。

・荀彧(じゅんいく)…曹操の参謀。名門の長として一族を率いて曹操に仕えた。主に本拠地の防衛を任されていたが、前線に出た曹操に対して数多くの有効な助言・進言をして信頼を得る。しかし、曹操を魏公に推戴しようという動きに「臣下が取るべき態度ではない」と反対したことで関係が悪化。憂悶のうちに病死したとも、曹操に自殺を強要されたとも言われている。

・袁紹(えんしょう)…4代に渡って国の重職に就いた袁家の御曹司。中国の北部を掌握し、天下取りの筆頭と言われていたが、決断力の欠如や的確な部下の助言に耳を貸さないなどの失策で、ライバル曹操に敗れる。後継者を指名せずに病死してしまい、一族滅亡の原因を作った。

・田豊(でんぽう)…袁紹に仕えた参謀。的確な助言をする有能な人物だったが、剛直な性格が袁紹の不興を買い、投獄されて殺された。

・呂布(りょふ)…「人中の呂布・馬中の赤兎」と評される無双の将軍。個人的武勇は群を抜いていたが、二度の義父殺しで節度のない裏切り者のイメージが定着してしまった。曹操に攻められ、味方の裏切りによって捕らえられて処刑された。

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