上司の叱咤激励はウザイ?一念発起で歴史に名を残した男を見習え

子どもの頃は誰しも「早く勉強しなさい!」と言われたことでしょう。それが成人して社会に出てから、上司に「もっと仕事に励め」と言われたら、「うぜぇ~!」とか「偉そうに!」とか、あまりいい気はしない方も多いでしょう。では、こんな話はどうでしょうか?

・主君に「学問に励め」と言われた呂蒙も最初は嫌々だった!?

呉の孫権に仕えた呂蒙(りょもう)は、はじめ武勇一点張りのいわゆる「武力バカ」でした。三国志の世界をゲームで楽しんでいる方にとっては、知力の値が極端に低く、武力の値だけが突出しているあの豪傑と同じようなものでした。あるとき、主君・孫権から、「お前も学問に励め」と叱咤激励されたことがありますが、呂蒙は乗り気でなかったのか、本当にそうだったのか、「軍務が忙しく、学問をする余裕がありません」と返答しています。ひょっとしたら、「学問?うぜぇな…」と思っていたのかもしれないですね。

・呂蒙を奮い立たせた孫権の一言

これに対し、孫権が語った一言は、「漢王室を再興させた光武帝や、あの曹操でさえ書物を手放すことなく学問に励んでいるのだぞ。彼らの忙しさはお前の比ではないだろう?」というものでした。これを聴いた呂蒙は心に感じて学問に励むようになり、智勇兼備の将軍として関羽を知略で破る活躍を見せています。孫権の言葉の中には孫権自身は含まれていませんが、呂蒙も諸将も、孫権が学問に熱心なことを知っていたため、そのアドバイスにも耳を傾けることができたとも言われています。

・周りを驚かせた「呉下の阿蒙」と、それに答えた「士、別れて三日、剋目して相侍す」

呂蒙の大変身は、故事成語として2つの言葉になって残されています。一つは「呉下の阿蒙」。今風に言うと、「呉の蒙ちゃん」になりますが、その中には大したことのない人物とかバカといった揶揄も含まれています。あるとき呂蒙と会って話をした魯粛が、「いや、驚いた。今の君はもう『呉の蒙ちゃん』とは言えないな」というのがそのはじまり。これを受けた呂蒙は、もう一つの故事成語となる言葉で返答をします。

「男子たるもの3日も会わなければ、再会したときによく相手を見直すことですよ。」と言われた魯粛は、その変貌振りに大変驚いたと言います。もしこれが、「いや~、そうっすか?照れちゃいますね。」程度であったら、「まだまだ甘いな」と思われていたかもしれませんが、この一言は魯粛が襟を正して呂蒙を再評価するに充分なものとなりました。

・できる上司や先輩からのアドバイスや叱咤激励は、「言われているうちが華」!

現代の部活や仕事での上下関係でも、最初は後輩や部下に親身になってアドバイスをしたり、時には叱咤激励して成長を期待する先輩や上司が沢山います。むしろ、最初から「好きにやっていいぞ」と言う上司はアテにしない方がいいでしょう。

そして、そのアドバイスや助言も、「うぜぇ」とか「うるさいな」と受け取って成長を見せなかったとき、先輩も上司も「こいつはダメだ」と匙を投げるでしょう。もし呂蒙がこうだったら、後世の私達に、「呂蒙って使えねぇな」とゲームの世界でバカにされていたでしょうね(笑)。